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by linsshio

主語を持つ国

昨日の朝日新聞の天声人語に、米国のオバマ大統領の核軍縮演説についてのことが書いてあった。オバマ大統領が「核を使用した唯一の保有国として行動する道義的責任がある。」と述べたのだそうだ。

「兵器としての核爆弾を落とされた唯一の被爆国として行動する道義的責任がある。」

日本は国としてこのようにしっかりと明言すべきだと、この記事を読んで思った。核実験の被害や原発事故の被害で苦しむのももちろん辛いことだが、日本は国として核兵器を使われた唯一の国だ。その意識をしっかりと持ち、被曝による悲劇を示す義務、責任が日本にはある。

話は変わるが、しばらく前に村上春樹がエルサレム賞をもらい、イスラエルで演説をした。演説の内容ではなく、その時の心情を村上春樹自身が書いた文章がしばらく前に文芸雑誌に載っていた。それを読んだときに印象に残った文がある。「ホロコーストのときに立ち向かわずに多くの国民を死なせたという国としてのトラウマを持っている。」国としてのイスラエルが攻撃に対して過剰に反応するのは、戦わずに滅びそうになったことのトラウマもあるのではないだろうか、というものだ。
Always on the side of the egg ・・そういった村上春樹の文章を読み、「壁と卵」の卵のことを考えながら、壁としての国のトラウマというものを考えた。だから何ができる、だから何ということではないのだが、なんだか少し腑に落ちるところがあった。

・・話は元に戻り、、朝日新聞のこの記事では、主語に歩み寄る米国を評価していた。「あの米国がである。」と書いてあった。ナチスの国、ドイツも自国の責任を明言している主語を持つ国だ。

日本も主語を持つ必要があると思いながら、日本人である自分の行動を考えた。主語を持たない限り、国にしたって、個人にしたって、大人としてのつきあいはできない。
by linsshio | 2009-05-09 18:21 | 日々のこと