Shio's 感じたことやら考えたことやら。。


by linsshio

カテゴリ:読んだ( 18 )

先日のブッククラブで紹介したアリシア ベイ・ローレルの「地球の上に生きる」。

この本は、1970年代に出版されたヒッピー文化、サバイバル生活マニュアルのようなとても楽しく力強い本で、アリシアが20代に暮らしたアメリカのコミューンでの生活を記したものだ。
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先日、Sさんから教えていただいたマーマーマガジン。マーマーはMurmur、(水なら)せせらぎ、(風や鳥や人なら)ささやきという意味なのだが、こちらなかなか興味深い雑誌で、この8号(ミツバチマークの号)に久々のアリシアが登場している。
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living on the earth in 2010, in the city. アリシアの、漂うような心地よい字とイラストと共に「アリシアが毎日実践する14のこと」が書かれている。なんだか心に留めておきたいので、おおまかにかいてみる。

1. どこでも歩いていく。それは心を静め、からだを強くするだけでなく隣人との友情が深められるストレートに導いてくれる。

2. ハーブティーをいれる。からだを強くするために。

3.家で 寒さを感じたら5本指のソックスをはき、はんてんを着る。

4.情熱をもってリサイクルをする。要らないものは欲しい人に使ってもらう。

5.古くなった風呂敷からパッチワークでカーテンと枕をつくる。

6.掃除をするときはシンプルでナチュラルなものを使う。ビネガーや柑橘系のオイルやじゅうそうなど。

7.庭にフルーツのなる木がある。良い薬になる。

8.動物性の食べものを口にするのをやめた。

9.毎日ギターを弾いて歌う。

10.毎日、環境、政治、健康、癒やし、どのように人が生き、死んでいくのかについて書かれた記事や本を読んでいる。

11.自分の箸を持ち歩く。

12.地元のオーガニック野菜を買う。

13.ロスアンジェルスのエコビレッジにパーマカルチャーの講義を聴きに行く。

14.このように私は、思慮深く社会に参加し、すべての人々と動物、植物を家族として地球上の家に存在している。

・・だそうだ。私にとっては、したいこと、しないこと、取り混ざっているが、でもおもしろい。(とりあえず、私は動物、食べます。)

20代をコミューンで過ごした彼女は今、ロスアンジェルスに住んでいるそうだ。都市に住み、今に生きてるアリシアに一度会ってみたいな。

アリシアのサイト>>
by linsshio | 2011-11-28 10:41 | 読んだ | Trackback | Comments(2)

まだ、まにあうのなら

おはようございます。今日もいい天気の気持ちの良い日になるみたい。

昨日発行したトトラボレターに書いたのだが、土曜にランチにいったたまプラのSOWAさんで『まだ、まにあうのなら』という小冊子をみつけた。お店の方がぜひ読むといいとすすめてくれて、それで買って読んでみた。

~何という悲しい時代を迎えたことでしょう。~

といいう言葉で始まるこのお話は、チェルノブイリ後に自分の身の回りを包んでしまった放射性物質のことについて調べて記した福岡のお母さんのお手紙だ。

生物として、一人の母親として述べていると書いてあるその文章には、子供に対する大人の責任というものをしっかりと考えさせてくれるものだった。

日本の大人には誰にも、多かれ少なかれ原発に関しての責任があるが、子供は違う。いいかげんな大人の判断や言い分に子供を巻き込むことはあってはならない。

一昨年の終わり頃、馬場のBen’s Cafeでみた「カブールの幽霊展」を思い出した。戦禍のアフガン、子供たちが夜の暗闇でみるのは温かな夢でなくカブールの幽霊たち。手をつないで走っていた友達がすぅっと砂になって消えてしまう、そんな悲しい夢。そんな夢しか子供にみせられないとは大人たちのなんと情けないことか。戦争と原発問題に大きな差はない。

まだ、まにあうのなら >>
by linsshio | 2011-05-16 06:52 | 読んだ | Trackback | Comments(2)
『走ることについて語るときに僕が語ること』という村上春樹の本がある。そのなかでしっくりとそうだと思った一節。

「僕自身について語るなら、僕は小説を書くことについての多くを、道路を毎朝走ることから学んできた。自然に、フィジカルに、そして実務的に。

どの程度、どこまで自分を厳しく追いこんでいけばいいのか?
どれくらいの休養が正当であって、どこからが休み過ぎになるのか?
どこまでが妥当な一貫性であって、どこからが偏狭さになるのか?
どのくらい外部の風景を意識しなくてはならず、どれくらい内部に深く集中すればいいのか?
どれくらい自分の能力を確信し、どれくらい自分を疑えばいいのか?」

石井ゆかりの『牡羊座』を読んだあと、この一節に書いてあるようなことを自分がしていきたいと思うのは無理ではないのかと不安がよぎるのだけれど、「覚悟と準備」をしっかりとしなければならない2011年をスタートするにあたり、こういうことを意識することが今の私に重要だと思ったりする。というわけで頑張ってみる。毎朝走るわけではないのだが、自分にルールを作ってみようと思った。
と、いうことで三ヶ日も終わるな。
by linsshio | 2011-01-03 19:20 | 読んだ | Trackback | Comments(2)

普天間基地のこと

Anjuさん経由で知った普天間基地の記事。よかったら読んでみて。情報って俯瞰してみれないと恐ろしいなと思った。
普天間基地移設を急ぐ人たち>>
by linsshio | 2009-12-08 07:07 | 読んだ | Trackback | Comments(3)

今、読んでいる本

ただいま読んでいる本はこれ。惑星の未来を想像する者たちへ。昨日のつくばからの帰りTX(つくばエクスプレス)の中での図。
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ゲーリー・スナイダー。Gary Snyder。1930年生まれ。My fatherと同じ。レイ・チャールズとも同じ。1950年代、米国西海岸、ビート世代の代表的存在だそうだ。彼の本はこれまでにも読んでいてとても気に入っている。サンフランシスコの生活の匂い、バークレーの学生文化の匂い、そしてヨセミテのレッドウッドの森の匂いと冷たい空気。。。そういったここちよいものを運んでくれるからだ。彼の文章は隙がなくて、ほんの数行すすむだけで、心にとめたい大事な言葉がちりばめられている。

「私たちの希望は相互に浸透しあう領域を理解し、私たちがどこにいるかを学び、そうすることによって地球全体を視野に入れたエコロジカルなコスモポリタニズムの生き方を確立することにある。(GS)」と語るスナイダー。ひとりの友人に会うために千マイルもヒッチハイクしなけらばならなかったという時代に、感じて、考えて、論じ合い、書いて、語り、動く。

「命あるものは何であれ、生息地が必要だ。それは成長するための文化の温もりと湿り気を持ったもの。(GS)」・・文化の温もりと湿り気、これって人間には必要と思います。野性の実践に突入。・・ということで、ちら見。
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by linsshio | 2009-11-18 06:25 | 読んだ | Trackback | Comments(0)
Gary Snyderの「野性の実践」を読んでいる。彼は詩人で、ケルアックやギンズバーグらとともにアメリカのビート世代を代表する存在だ。「野性の実践」には、彼の考え方が文章の端々に詰まっていてとてもおもしろい。
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言語学者でもある彼の言葉の考察はとても興味深い。彼の言う「WILD」はスピリット(魂)のようなもので、そのものに元から在る本質的な部分であると私は理解した。「WILD」の名詞形である「WILDERNESS」は「自然のままの未開の地」といった意味を持つ。「野性の実践」とは自我の奥底の自分自身、つまり自分なかの自然のままの未開な部分を自覚する方法を見つけて、動くことなのだ。精神の中にあるWILDは、直感的な洞察力や科学上の問題解決力や創造的飛躍の可能性を与えてくれるという。
こういった彼の考えを読みながら、自然の中に在るWILDと自分の中に在るWILDがぴたっと重なった。彼はWILLはWILDから派生した言葉だと言っている。WILD(野生)からWILL(意志)は生まれるのだ。自然の中の野性を大切にしないとしっかりした社会の意志は作れない。自分の中の野性を大切にしないとしっかりした意志は作れない。。そう思ったらWILD、野性という言葉がとても好きになった。

彼は12年間日本に住み、京都の大徳寺で禅の修行をしたそうだ。彼は日本について、「日本は私が山も都市も愛することを学んだ国」と言っている。それをきいてとても嬉しくなった。なぜなら、私も山も都市も好きだから。
by linsshio | 2009-01-19 07:31 | 読んだ | Trackback | Comments(2)

金鳥小説「ふらふら」

しばらく前から朝日新聞の朝刊に、金鳥小説「ふらふら」というのが連載されている。CMでおなじみの二人住まい(らしい)の父子が主人公で、もんもんとした雰囲気の毎日にちょっとした風が吹く出来事がつづられていて、静かに、時に激しく話は進んでいく。父子のやりとりも、そしてイメージ膨らむ二人の住まいもやたらと味があって、風鈴の音に寝転んでうちわパタパタ、そしてキンチョーの蚊取り線香(今売り出し中は蚊に効くカトリスらしくカトリスが頻繁に出てくる)といった昭和の夏の感じだ。今日が第8回で、数日前から話は展開していて、これはすべて読まねばと思っている。キンチョーのサイトでも公開されているみたい。お勧めです。
金鳥小説「ふらふら」のサイト
by linsshio | 2006-06-28 13:13 | 読んだ | Trackback | Comments(3)
c0002089_0121047.jpgも一つ読みました。『The NEW YORKER』に掲載されていた村上春樹の「The Year of Spaghetti」。ザ・スパゲッティ年。1971年はスパゲッティの年だった。。で始まる超短篇(だから読む気になったともいえる)。この年の僕は、日曜日から土曜日まで、毎日スパゲッティを作っていた。スパゲッティを決まったやり方で作り、ティーと、レタスかきゅうりのサラダを添えて決まったように食べた。そして、新しい日曜がやってくると新しいスパゲッティウィークが始まる。それ以外はおよそ畳にごろっとなって、天井を眺め、そして邪魔しないでと思うときに邪魔な電話がかかってくる。というよりは常に一人にしておいてっていうモード。スパゲッティは孤独にひたるにはいい一皿だそうな。わかる気がする。ねじまき鳥クロニクルの僕、J's Bar(だったかな?)の床をピーナッツの殻でいっぱいにする僕、、村上春樹の他のお話にも出てくる僕がここにもいた。スパゲッティに没頭して、不要な雑音をシャットアウトする。昔、『1973年のピンボール』を読んだときに、どうにもこうにもならなくなったら、電気釜をひたすら磨こう!と思ったことを思い出した。決まったことにひたすら没頭するというのはちょっと違う世界に連れてってくれる。それにしても村上春樹は英語への翻訳者に恵まれたと思う。私が読んだ限りでは(あんまりあてにならないんだけど)、雰囲気が壊れることなくうまく伝わってくる。フィリップ・ガブリエルという人が訳してます。英語ネイティブの人たちが読むと、また違う感じ方なんだろうね。言葉っておもしろい。
by linsshio | 2006-01-05 00:06 | 読んだ | Trackback | Comments(0)
c0002089_17483052.jpgお正月にワトソンの『二重らせん』を読んだ。DNAの二重らせん構造をみつけたワトソンとクリックのワトソンが書いた、あの頃の記録的なお話なのだけれど、けっこうおもしろかった。で、思ったこといくつか。
1)いい仕事をするには人的環境も大事。
優れた人たちの周りには優れた人たちがいる。出てくる人、次々ノーベル賞なのだもの。まあ、そこまでいかなくても、自分がテーマとすることに関しては、欲すればいつでも意味のある討論ができるような人的環境って大事。そうしないと刺激もないし、切磋琢磨もされない。なまぬるいところにいると澱んでしまう。そういうのってよくない。
2)ねらいを絞ることってやはり大事。
ワトソンはDNAにしか興味がなかった。何がなんでもDNAだったらしい。
3)30歳とか40歳とか、そのあたりの仕事って大事。
ワトソンが二重らせんをみつけたのは25歳ととりわけ若かったけれど、出てくる皆さん、年表から数えると、30歳後半~40歳前半くらい。大事な一仕事をする時期ということだろうか。思えば私もそのあたり。く~。
by linsshio | 2006-01-04 17:48 | 読んだ | Trackback | Comments(4)

松の大樹

周囲は松の大樹に囲まれ、夜霧をいっぱい溜めたしたたるような松の緑に銀色の玉を浮かべています・・

この文からはどんな風景が目に浮かぶ?
どんな香りがして、どんな空気が肌に触る?

これは1942年、ルソン島バギオ高地に駐屯していた日本兵が家族に宛てた手紙の一文。バギオの自然を美しく綴る、こんな人間が戦争で殺されるなんて、戦争で殺すなんてことがあっては、二度とならない。
by linsshio | 2005-09-03 19:56 | 読んだ | Trackback | Comments(2)