Shio's 感じたことやら考えたことやら。。


by linsshio

カテゴリ:読んだ( 18 )

豊かな森を守るために、ハチドリのクリキンディは水のしずくを、ぽとりぽとりと落とします。そんな話から生まれた「いちぽとり」のハチドリ計画。ほんの数十ページのこの本は、地球の冷やしかたの本。「いちぽとり」はCO2を100g減らすこと。
・シーズンオフにエアコンの電源を抜くと0.2ぽとり
・缶ビールじゃなくてリターナルビンにすると1.3ぽとり
・レタス1個アメリカ産じゃなくて日本産を食べると3.6ぽとり
・往復4kmを車じゃなくて歩くと7.7ぽとり
環境問題ってこういうことだ。いとぽとり、いちぽとり。生活の中でのいちぽとりをこまめに積み重ねていく。そういうこと。
はちどり計画のサイト
by linsshio | 2005-06-24 01:09 | 読んだ
だが無に帰するものなどありえない
永遠なるものが万物を生動させてくれている
さあ 存在に身をゆだね 生きる幸を知りたまえ
存在こそは永遠だ 生きものが 法則に守られている限り
この万有はあくまでも美しい

真実ははるか昔に見出され
高寓な精神のかずかずを結び合わせてくれていた
地に生まれし子 いにしえの真実をつかまえたまえ
賢人たちに謝したまえ
太陽をめぐる地球や惑星の円い軌道を教えてくれたその人に

そしていま すぐに内へと向かいゆけ
内にこそきみの中心があるだろう
気高い人の知っている中心が
というのも我が身を律する良心こそ
日々の道徳の紛うかたなき太陽なのだ

さらにまた感覚をこそ信頼したまえ
きみの悟性がどんなときでも目覚めていれば
感覚はきみを欺くことがない
さあ 溌剌としたまなざしでこの世を享受し
恵みゆたかな世界の野辺を かろやかに 胸をはって歩みゆけ

このことをついに体得し
実りをもたらすものだけが真実なのだと
しみじみと 心に深くかみしめたなら
世間一般のならわしに
世間が好むやり方に目を注げ
少数の人々こそはきみの友と知るだろう

哲人も詩人も 昔から
人にも知られず 思いのままに
書いてきた 心をこめた作品を
そのようにきみも至高の恵みを克ち取ろう
気高い人々の先達となることが
すべてに勝るきみの務めなのだから。
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なんだか写経した気分・・
by linsshio | 2005-04-01 19:02 | 読んだ

2005年が始まった!

c0002089_14361715.jpg2005年のNew Year Resolution(新年の決意)についてはただいま箇条書きにして線表(スケジュール表のことをNECではそういいます)と共に考え中。後ほど。

去年の暮れにMihoUさんにネイティブアメリカンの文化などがわかる本はないかと言われたので、ジョセフ・プルチャックの『それでもあなたの道を行け』を貸すことにしようと思い、手にとって読み返してみている。すると、ん~元気にしてくれる、と思う言葉がずんずんと出てくる。


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わしがこの神聖なパイプにきざんだ赤柳の皮をつめるやり方をよく見ておくがいい。
それをすぐに吸ったりしてはいかん。
どういうふうにしてそれがつくられ、それがどういう意味をもっているのかを、おまえはまずよく理解しておかなくてはならんのだ。

グレートスピリットであるワカンタンカは六つの方角を決めた。すなわち、東、南、西、北、上、下である。しかし、まだひとつだけ、決めえられていない方角が残されていた。この七番目の方角は、すべてのなかでもっとも力に溢れ、もっとも偉大な知恵と強さを秘めている方角だったので、グレートスピリットであるワカンタンカはそれをどこか簡単には見つからない場所に置こうと考えた。そしてとうとうそれは人間がものを探すときに一番最後になって気がつく場所に隠されることになった。それがどこであったかというとひとりひとりの心のなかだったという話だ。

私は自分自身や自分の生き方の主人として振舞うことができる。自分の自由は完全に自分のものだし自分のしたいことをする。

大地はあなたに耳を傾け、空と木々の生い茂った山はあなたを見つめている。
あなたがこのことを信じるならば、あなたはちゃんと年を取れるようになる。
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私もちゃんと年を取ろう。
私は私の道を行くよ。もしかしたら父に「吾一(ごいち)」と名前をつけられたかも知れないし。
・・吾ひとり。どうだ、いい名だろう。。と、父は弟の名前を考えたが却下されたらしい。・・
今年は自分のやりたいことしかやらない自分に向かってちゃくちゃくと動く年にするぞ。

そういえば、ジョニー・デップもActor's Studio Interviewでそんなこと言ってたな。
「あるとき決意した。自分は自分のやりたいことしかやらない。それでだめならまたギターを弾く生活に戻れば良いだけの話だ。」って。まあ私にも無くなって困るようなものは何もない(家族や友人は別です)。生活さえしていければ、あとは頭さえあればどうにか楽しめる。

New Year Resolutionのひとつ。『日本のハーブ』を英語にする。そして英語圏の人たちにも読んでもらえる準備をするぞ。そしてNative Americanのハーブの勉強もやってって、そして近い将来ふたつを並べてみよう。Japanese & American Native Herbs.
by linsshio | 2005-01-01 14:43 | 読んだ

ゲーテさんに賛成

われわれが眼にしている自然は、一見すると個々の特殊で多様な経験(経験的現象)にすぎないが、それはわれわれが自然をよく見ていないからなのであり、もっと注意深く自然を見つめれば、つまり、われわれの直観を純化すれば、もっと普遍的にして単純な現象が生き生きとした姿(根本現象)をあらわしてくるであろう。・・ゲーテ

ファウストが虹のなかに神なる太陽ばかりではなく、人生の本質をも看取したように、この聖なる奥処が自分自身のなかにもあるのを見出す。だからこのときに開示されるのは自然の秘密ばかりでなく、じつはわれわれの精神そのものである。

・・ゲーテさんに賛成。

そしてゲーテさんは自然を研究することがとりもなおさず「自分自身を無限に完成してゆく」道であると指し示すのであった。

さて、話は変わり、1月中旬からアロマトリートメントを始めます。日常と少し離れて、ゆっくりしていただこうとForestVita Retreat(隠れ家)と名づけました。ぜひ、いらしてくださいませ@^-^@
by linsshio | 2004-12-16 00:57 | 読んだ

禅宗って興味深いかも

京都の東福寺で『禅聖典』という本を見つけた。名前からして禅宗の聖書のようなものかと思って、お寺の方に尋ねたら「お経の意味が書いてあります。」というお答え。ぱらぱらと手にとって眺めているうちに興味が深くなってきて買ってみた。2000円也。

般若心経って誰でも一度は耳にしたり口にしたりしたことがあると思う。現代語訳(?)になっている意味を読んでみて、そうだよ、そのとおり!と相槌を打ちたいところがあちこちにあるという新たな発見をした。例の最初の「観自在菩薩・・(かんじーざいぼーさつ・・)」のフレーズの意味はこうだ。

心性の自在を観察し得る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆、実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみとらわれないから、一切の苦厄も障りとならなくなってしまう。

なるほど。で、ゴータマ・シッダールダはなかないいことを言うのであった。


自らを灯とし、自らをよりどころとせよ。

そうですね。それはとても大事なことだと思います。そして、座禅の意義についてはこんなことが書いてあった。

人間の悩みを根本から解決するにはどうすればよいか。端的に言って真実の自己を自覚することのほかにはない。すべての人は同一の真性をもっている。真性は真実の自性であり、また仏性でもある。つまり真実の自己であって万人万様の欲求や動きをもった通常の個別的な自己ではなく、万人がその底にもっている同一の普遍的な自性である。

座禅の意義は「自性の自覚」で広い意味では日常経験のすべてが座禅の道に通ずるのだそうだ。この真性を求める姿は、生物学であり物理学であり数学であり、つまりは哲学だね。こうやって読んでいると、禅っていうのは宗教というよりも(?宗教が何かもわからずに言いますが)、哲学だったり、道を極める精神のようなもののように思う。「あなたは神を信じますか?」と問われたアインシュタインが「私はスピノザの神を信じます。」と答えたことに通ずる。スピノザは神即自然を唱えた人だ。the natural course of universe..。

しばらく手元に置いて、言葉を拾いたい本が見つかりました。言いたいことを代弁してくれているところが多そうだから。カバーも柔らかくて心地よい手触りです。ちなみにこの本には座禅の仕方も書いてある。私もやってみようっと。しばらく続けているヨガのおかげで股関節も柔らかくなってきたし。

さっきから「zen」とタイプすると「膳」と出るので、今日食べたものを書いておきます。ちなみに週末なので、リストランテ・トトが開業、夜はゴージャスです。

朝・・ストロベリージャムをのせたヨーグルト(小岩井生乳っていうやつ)
昼前に・・バームクーヘン(ユーハイムの)
昼・・自由が丘のtable modern cafe のランチ。チキンソテーでした。
夜・・筍のバジルソースオーブン焼き、そら豆のパスタ(オレッキエッテ)、ぶりみたいなひらまさっていう魚と筍のグリル、パンとチーズ、ヨックモックのケーキ
5/5/2003
by linsshio | 2004-11-28 19:27 | 読んだ

いま立原道造を思う

昨年夏の朝日新聞に立原道造記念館ができたという記事が載っていた。なんで今ごろ?と私はちょっと驚き、記事を切抜いて手帳に挟んだ。行こうと思いながら1年が過ぎた。そして先日、夏の終わりを思わせる日にふいに行きたくなって行ってみた。立原さんの文章には夏の終わりが良く似合う。根津のあたりは夏の空気が満ちていて、東大のキャンパスでは蝉が唸っていた。

その昔、10代だった私は、建築家で詩人である立原道造に夢中だった。お年玉で立原道造全集を揃え、立原道造に関する本はほとんど読んだ。彼の紡ぐ美しい言葉を反芻し、彼の思いや遊び心が詰まったノートを熟読し、彼が恋人に宛てた手紙を自分がもらったかのように読み、そして彼と同じ時代に生まれなかった自分を哀しんだ。彼が歩いた東京の町や、夏を過ごした信濃追分の地図を作り親に連れていけとせがんで跡を辿るという、いわゆるおっかけだった。やがて立原さんがこの世を去った24歳になったときに、ああ、立原さんより長く生きてしまったなぁと思い、自然に彼の言葉を追うことがなくなった。それが最近なぜか立原さんの言葉にまた触れたくなり今年の夏の山には、彼の書いたものを持っていった。

僕はこの詩集が、それを読んだ人たちに忘れられたころ、不意に何ものともわからない調べとなって、たしかめられず、心の底で、かすかにうたふ奇蹟を願ふ。そのとき、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであろうとも僕のあこがれる歌の秘密だ。・・Miti Tati

詩集や詩自体が立原道造が作ったものとしての形を失って朽ちていったときに自分の言葉が人知れず世界を漂うことを願う。それは巧くいっているようだと教えてあげたくなったりする。

記念館には、バー・コペンハーゲンと命名した彼の部屋にあったランプや本棚、そして自分の為に設計した風信子ハウスの模型もあった。そして、最近新たにでてきた堀辰雄との往復書簡。17の頃の立原さんに堀辰雄は書いている。古風な物語を書いてみること・・。環境を作りだし、その中に人を入れること・・。

最期に立原さんは、風景をじっくり描写するなかに思いを載せるというやり方の堀辰雄から離れていこうとした。そして戦争に向かう暗い重い空気の中で自分の観念や意思を前面にだしていくやり方に惹かれていき、そして亡くなった。最期に離れていこうとしたものは、立原さんの真髄である。ベッドの上で「五月の風をゼリーにして持ってきてください。」と言った彼は結局離れていけず、風に乗ったまま三月の終わりにいなくなった。彼が奏でる言葉のなかに美しく哀しい思いが織り込まれている。

そうして僕がいつもよい言葉を誌すことができるように。いつも自分を偽らずに言う言葉がそのままよい言葉と一致することができるように。・・Miti Tati
9/18/2000
by linsshio | 2004-11-28 19:25 | 読んだ
またもや村上春樹もので恐縮です。「風の歌を聴け」のあと「1973年のピンボール」を読み「羊をめぐる冒険」まできた。かなり飽きてきたんだけれど、まだ読んでいる。北海道のいるかホテルに住む羊博士は、その昔、からだに羊が入り、役人をやめた経歴の持ち主だ。・・と、書くとかなり突飛だけれど、小説の中のお話だと思ってきいて欲しい。世の中を避けるように暮らす彼は、仲良くなるのがとても難しそうなアクの強い博士だ。が、彼の話には納得させられるところが多い。会うことができるのならば一度お話してみたい。とりつくしまのないお話だが、「で、何?」と言われるのを覚悟で記してみたい。

君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?地獄だよ。思念のみが渦巻く地獄だ。・・(羊博士)

それは地獄だろうなぁ。とつくづく思う。私もそんなところにどっぷりつかるのはゴメンこうむりたい。かといって表現できることがすべてとは到底思わない。修行あるのみだ。でも、いくら修行を重ねても、誰もが地獄を抱えていることは確かだと思う。(Shio)

私は羊が体内に入ってからずっとそういった羊に関する民俗学や伝承を研究し始めた。現地の人の話を聞いたり、古い書物を調べてみた。・・(羊博士)

羊博士にも、伝承ハーブ研究会に入ってもらいたい。(Shio)

日本の近代の本質をなす愚劣さは、我々がアジア他民族との交流から何一つ学ばなかったことだ。羊のこともまた然り。日本における綿羊飼育の失敗はそれが単に羊毛・食肉の自足という観点からしか捉えられなかったところにある。生活レベルでの思想というものが欠如しておるんだ。時間を切り離した結論だけを効率よく盗みとろうとする。つまり地面に足がついていないんだ。・・(羊博士)

ちょっと過激だけれど、こういった本質を見失う危険性を私も感じることがある。でも人間には、0と1の間をじっくりと辿って堪能する力が元来あると思う。(Shio)

羊博士にとっての羊とはなんだろうか。それは、元シャーマンのアマリンゴさんにとってのアヤワスカが連れてくる精霊と同じだろう。風の歌を聴くための羊は、自分でみつけてじっくりつきあいたいものだ。
12/10/1999
by linsshio | 2004-11-28 19:24 | 読んだ

ひさびさに風の歌を聴け

先日、仕事の帰りに近所の住吉書房に寄った。シンポジウムで、風をひらくということを考えたからか「風」という文字に目がいく。風・風・風・・風のつくタイトルの本が結構あることに気づいた。五木寛之のエッセイ集だったか「風の記憶」というのがあり、なかなかいいタイトルだな~と思った。中身は知らないが、なんとなく浮かんだ風景は、セーヌ河のほとりで(行ったことはないけれど)、またねと前夫と別れる岸恵子の姿だった。所詮、風の記憶、されど風の記憶なのだと、さらっと思い、じんわり歳を重ねるのはなんだかとてもおしゃれな気がする。彼女の抑制の効いた雰囲気が私はとても好きだ。風、風とうろうろしているうちに村上春樹の「風の歌を聴け」をひさびさに読みたくなった。・・・で、10何年かぶりに読んだ。

大学時代の私が、この小説から感じ得たものは、なんだっただろうか。ひとつは、どうしようもなくやるせない気分のときには、むっくり起き上がり、おもむろに部屋の掃除をはじめるか、電気釜をひたすら磨けということだった。それも出来ないほど、憔悴しているときには、布団に包まって、青虫のふりをしてどうにかやり過ごせということだった。実際このおかげで、私は何回かの危機をどうにか過ごせたような気がしているし、今でも、心の奥底でしっかりと言いきかせている。ひたすらビールを飲みつくすこととピーナッツの殻でJ's barの床を埋める事に彼らがひと夏を費やす姿にそれを重ねた。といっしょに、何かのふりをすることはとても強力で、ぜんぜん違う自分を演じることもできるけど、それに慣れていくと、そのままになってしまう危険もあるから気をつけろということも実感していった。

もうひとつは、書くことの意味。村上春樹はこの小説の中で自分にとってのその意味を問い答えていっている(と思う)。存在理由という言葉を、自殺した彼女に使わせているけれど、わたしもそんなことを考えていた時期があったような気がする。でも、そんな気持ちはきれいに消えうせた。

・・・で、今回は鼠の語った次のフレーズが一番のこった。
「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かがかけたらどんなに素敵だろうってね。」(村上春樹「風の歌を聴け」より)
11/15/1999
by linsshio | 2004-11-28 19:22 | 読んだ