Shio's 感じたことやら考えたことやら。。


by linsshio

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仏像リフレ

この前京都に行ったとき、高山寺にいったら「仏足石」というのがありましたのさ。
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こんな感じに薄い模様があって、御釈迦さんの足の裏をうつしたものなのだそうな。足の裏の模様は「瑞祥七相」といってそれぞれ意味があるらしい。かかとの「梵王頂相」には、五つの山、山の両横に雲、その間から「輪宝」って太陽が出ている。その上の「千ぷく輪相」は「中心から千方に広がる太陽の光」。親指の付け根の「金剛杵相」は「魔物を寄せ付けない力」。
その隣の「双魚相」は魚が象徴する「不滅の生命力」。その横の「宝瓶相」は壷とほら貝で、ほら貝のように遠くまで聞こえるように「仏法を広める」という意味だって。親指の「月王相」は「赤々と燃える月」。人差し指の「卍花文相」は卍を花の形に図案化したものだそう。


で、思いつきました、仏像リフレ。

自分の力を大きく広げたいとき・・「千ぷく輪相」
自分をプロテクトしたいとき・・「金剛杵相」
不滅の生命力を養いたいとき・・「双魚相」
たくさんの人に何かを伝えたいとき・・「宝瓶相」
女ならではの不調を改善したいときや女であることを大切にしたいとき(それっていったいどんなとき?)・・「月王相」
コミュニケーションを大事に、誰かと一緒にできることを花咲かせたいとき・・「卍花文相」

ってな感じで、リフレクソロジーはいかがだろーか。(ふむふむと相づち求む。)
仏足だけでなく、仏像のポーズもおもしろい。三昧に入った目つき、そして煩悩を消していく降魔座(「私」である「左」足を「仏」である「右」足でおさえる座禅)。。仏像リフレに仏像ヨガ。からだとこころにきっといいにちがいないっ!と思います。
Native American Cultureと比較するのもおもしろそう。輪宝とMedicine Wheel。
by linsshio | 2004-11-30 01:12 | 日々のこと | Trackback | Comments(2)
掲示板をカテゴリのなかに作ってみました。
書き込みはこれへのコメントって形で、入れてみてくださいな。
by linsshio | 2004-11-29 02:12 | 日々のこと | Trackback | Comments(3)

ブログ作ってみた

これまで使っていた掲示板が終わっちゃうというので、今度はブログにしてみた。
それで以前に書いた「近頃のこと」もいくつか引っ越してきてみた。

今日は、ラブランシュに行ってきた。カキをバターをかけながら焼いたあの一皿、おいちかったなあ。この前はtotoが独り占めだったので、今日は行った甲斐があったというものよ。
おいしいものを食べて、頭の中はしばしその料理のことばかり。そんな余韻をしばらく楽しめるって人間冥利につきるな~。やっぱり人間おいしいもの食べないといけないね~。それから疲れすぎるのもほんとによくない。この秋はちょ~忙しくて、それを実感した。食べて、きちんと眠る。それが快適に生きる基本だね。それだけは死守しないと。あ~私が崩れていく。。そんな生活はやめやめ。
by linsshio | 2004-11-29 02:11 | 日々のこと | Trackback | Comments(0)

思いもよらないこと

今年は思いもよらないことが次々に起こる。お正月の4日に父が他界してもうすぐ5ヶ月になる。あの頃は冷たい空気につきぬけるような青い空の毎日が続き、そして今日は少し湿った梅雨前の匂いがしている。父がいないことは今でも嘘のようで、そのおかげで今年は基本的に哀しい。

「私は彼と12で知り合い、一緒に大人になって一緒に親になりました。」
死ぬというのはとてつもなく独りきりなことだけれど、父のために集まってくださった方々の前で母はそう言った。母の言葉を聞いたとき、私の知らない若い頃の父と母のときめきやらそこに流れていた空気やらが感じられて切なくてしょうがなくなった。そうやって二人は私と弟の親になってくれて、そして誰よりも私たちを愛してくれたんだ。若いということの輝かしさを思うと、年を経ることの無情さと切なさが痛切に迫ってくる。

「お助けできないかもしれないという言葉を聞いたとき、私は夫を失うと共に60年来の親友を失うのだと痛切に思いました。」
母は病院の椅子に座って我慢しながら泣いていた。「あなたたちは私たちの生活に彩りを与えてくれた。」ずっと前のある日私にそう言った母の言葉を思い出した。

「足の不自由さからは開放されたわけですから、煙となり天に昇り、分子となり、あるときは雨となって、あるときは風となって私の元へ再び訪れてくれることを楽しみに待つことにします。」
母がこう言うので、これからは雨にも触り、風にも吹かれようと、窓を開いて風を入れようと思った。

私が生まれた夏に隣の神社で私を抱いて笑っている父の写真をアルバムからくすねて来た。このときの無心の中でやろうと思っていたことを私はきちんとやっていこう。そう思った。そして12月27日付の数学を解いたわら半紙を一枚もらった。

しんみりなってもいけないので付け加えると、父は前の晩も元気にお正月を満喫していた。お正月に集まった友人たちや私たちと美味しい馬刺をつまみに山梨の名酒「谷桜」を飲み、言いたいことを言い、そして次の朝にいなくなった。父らしいと言えばかなり父らしいのです@^-^@

6/2/2004
by linsshio | 2004-11-28 19:29 | 日々のこと | Trackback | Comments(0)

数学を解くこと

6月の終わりに甲府の実家に帰った。家を囲んでいる蔦は、青々と思いっきり茂って蕾を付けていた。花が落ちるときは一晩中パチパチと音がしているんだそうだ。近所のおばさんが「生命の音だね~。」と言っていたと母が言った。私はこの家で育ってきたのに、その蔦の音をまるで知らない。

何かを無心にすること、それを毎日続けて生活になくてはならない一部にすることについては、我が家では父が一番なのかもしれない。自分の中に何かを探していく修行のようなものと一番縁がなさそうな父が実は一番修行しているのかもしれない。それにしてはわがままだけど。

父は毎日毎日数学を解く。それは仕事の一部であるからといえばそうなのだが、父のこの数学ゲームは、青年だった頃からひたすら続いているのだ。父が高校生、母が隣の家に住む中学生だった頃、父は黒板を使って数学を解いていた。夜になるとチョークの音がカツカツ聞こえ、それが止まると「あ、終わった。」と思うと母が以前に話してくれた。年をとってきて、私が子供の頃によく弾いていたハワイアンギターの音がしなくなっても、なにしろ数学を解く。それは父からなくなってはならないものであって、数学を解かなくなったら一体どうなるのだろうかと思う。なので、帰ったときに父の机の上に昨日の日付の入ったわら半紙に解いた形跡を見つけるとなんだかほっとする。

以前、父が病気で入院したとき、3日目くらいからベッドの下に問題集と紙と鉛筆が置かれ、いつものペースで口を少し尖らせて解いていた。「数学の問題を解いていると心が落ち着く。」と、そのとき父は言っていたけれど、あれはもしかして父の座禅みたいなものなのかもしれない。数学を解きながら魂はどこかに旅に出ているのだろうか。それを母に話したら「そうよ。私はそのことを学生の頃すぐにわかったわ。」と言われた。なんだか得意げに見えた。母が言うには、父は解いたものを残さないんだそうだ。紙に解いて捨て、黒板に解いて消し、そしていつでも新しい旅に出る。

そう考えるとあんまり変わり映えしないようにみえる(スミマセン)父や母の人生もなかなかよいものな気がする。大きなお世話だといわれそうだけれど@^-^@人の一生ってそういうものかもしれない。変わったようで変わらず、変わらないようで変わっていく。
7/23/2003
by linsshio | 2004-11-28 19:28 | 日々のこと | Trackback | Comments(0)

禅宗って興味深いかも

京都の東福寺で『禅聖典』という本を見つけた。名前からして禅宗の聖書のようなものかと思って、お寺の方に尋ねたら「お経の意味が書いてあります。」というお答え。ぱらぱらと手にとって眺めているうちに興味が深くなってきて買ってみた。2000円也。

般若心経って誰でも一度は耳にしたり口にしたりしたことがあると思う。現代語訳(?)になっている意味を読んでみて、そうだよ、そのとおり!と相槌を打ちたいところがあちこちにあるという新たな発見をした。例の最初の「観自在菩薩・・(かんじーざいぼーさつ・・)」のフレーズの意味はこうだ。

心性の自在を観察し得る人は、深広無辺の妙智に透徹するが故に、この身も心もなべて皆、実相の姿なりと悟り、目前の虚相にのみとらわれないから、一切の苦厄も障りとならなくなってしまう。

なるほど。で、ゴータマ・シッダールダはなかないいことを言うのであった。


自らを灯とし、自らをよりどころとせよ。

そうですね。それはとても大事なことだと思います。そして、座禅の意義についてはこんなことが書いてあった。

人間の悩みを根本から解決するにはどうすればよいか。端的に言って真実の自己を自覚することのほかにはない。すべての人は同一の真性をもっている。真性は真実の自性であり、また仏性でもある。つまり真実の自己であって万人万様の欲求や動きをもった通常の個別的な自己ではなく、万人がその底にもっている同一の普遍的な自性である。

座禅の意義は「自性の自覚」で広い意味では日常経験のすべてが座禅の道に通ずるのだそうだ。この真性を求める姿は、生物学であり物理学であり数学であり、つまりは哲学だね。こうやって読んでいると、禅っていうのは宗教というよりも(?宗教が何かもわからずに言いますが)、哲学だったり、道を極める精神のようなもののように思う。「あなたは神を信じますか?」と問われたアインシュタインが「私はスピノザの神を信じます。」と答えたことに通ずる。スピノザは神即自然を唱えた人だ。the natural course of universe..。

しばらく手元に置いて、言葉を拾いたい本が見つかりました。言いたいことを代弁してくれているところが多そうだから。カバーも柔らかくて心地よい手触りです。ちなみにこの本には座禅の仕方も書いてある。私もやってみようっと。しばらく続けているヨガのおかげで股関節も柔らかくなってきたし。

さっきから「zen」とタイプすると「膳」と出るので、今日食べたものを書いておきます。ちなみに週末なので、リストランテ・トトが開業、夜はゴージャスです。

朝・・ストロベリージャムをのせたヨーグルト(小岩井生乳っていうやつ)
昼前に・・バームクーヘン(ユーハイムの)
昼・・自由が丘のtable modern cafe のランチ。チキンソテーでした。
夜・・筍のバジルソースオーブン焼き、そら豆のパスタ(オレッキエッテ)、ぶりみたいなひらまさっていう魚と筍のグリル、パンとチーズ、ヨックモックのケーキ
5/5/2003
by linsshio | 2004-11-28 19:27 | 読んだ | Trackback | Comments(0)

いま立原道造を思う

昨年夏の朝日新聞に立原道造記念館ができたという記事が載っていた。なんで今ごろ?と私はちょっと驚き、記事を切抜いて手帳に挟んだ。行こうと思いながら1年が過ぎた。そして先日、夏の終わりを思わせる日にふいに行きたくなって行ってみた。立原さんの文章には夏の終わりが良く似合う。根津のあたりは夏の空気が満ちていて、東大のキャンパスでは蝉が唸っていた。

その昔、10代だった私は、建築家で詩人である立原道造に夢中だった。お年玉で立原道造全集を揃え、立原道造に関する本はほとんど読んだ。彼の紡ぐ美しい言葉を反芻し、彼の思いや遊び心が詰まったノートを熟読し、彼が恋人に宛てた手紙を自分がもらったかのように読み、そして彼と同じ時代に生まれなかった自分を哀しんだ。彼が歩いた東京の町や、夏を過ごした信濃追分の地図を作り親に連れていけとせがんで跡を辿るという、いわゆるおっかけだった。やがて立原さんがこの世を去った24歳になったときに、ああ、立原さんより長く生きてしまったなぁと思い、自然に彼の言葉を追うことがなくなった。それが最近なぜか立原さんの言葉にまた触れたくなり今年の夏の山には、彼の書いたものを持っていった。

僕はこの詩集が、それを読んだ人たちに忘れられたころ、不意に何ものともわからない調べとなって、たしかめられず、心の底で、かすかにうたふ奇蹟を願ふ。そのとき、この歌のしらべが語るもの、それが誰のものであろうとも僕のあこがれる歌の秘密だ。・・Miti Tati

詩集や詩自体が立原道造が作ったものとしての形を失って朽ちていったときに自分の言葉が人知れず世界を漂うことを願う。それは巧くいっているようだと教えてあげたくなったりする。

記念館には、バー・コペンハーゲンと命名した彼の部屋にあったランプや本棚、そして自分の為に設計した風信子ハウスの模型もあった。そして、最近新たにでてきた堀辰雄との往復書簡。17の頃の立原さんに堀辰雄は書いている。古風な物語を書いてみること・・。環境を作りだし、その中に人を入れること・・。

最期に立原さんは、風景をじっくり描写するなかに思いを載せるというやり方の堀辰雄から離れていこうとした。そして戦争に向かう暗い重い空気の中で自分の観念や意思を前面にだしていくやり方に惹かれていき、そして亡くなった。最期に離れていこうとしたものは、立原さんの真髄である。ベッドの上で「五月の風をゼリーにして持ってきてください。」と言った彼は結局離れていけず、風に乗ったまま三月の終わりにいなくなった。彼が奏でる言葉のなかに美しく哀しい思いが織り込まれている。

そうして僕がいつもよい言葉を誌すことができるように。いつも自分を偽らずに言う言葉がそのままよい言葉と一致することができるように。・・Miti Tati
9/18/2000
by linsshio | 2004-11-28 19:25 | 読んだ | Trackback | Comments(0)
またもや村上春樹もので恐縮です。「風の歌を聴け」のあと「1973年のピンボール」を読み「羊をめぐる冒険」まできた。かなり飽きてきたんだけれど、まだ読んでいる。北海道のいるかホテルに住む羊博士は、その昔、からだに羊が入り、役人をやめた経歴の持ち主だ。・・と、書くとかなり突飛だけれど、小説の中のお話だと思ってきいて欲しい。世の中を避けるように暮らす彼は、仲良くなるのがとても難しそうなアクの強い博士だ。が、彼の話には納得させられるところが多い。会うことができるのならば一度お話してみたい。とりつくしまのないお話だが、「で、何?」と言われるのを覚悟で記してみたい。

君は思念のみが存在し、表現が根こそぎもぎとられた状態というものを想像できるか?地獄だよ。思念のみが渦巻く地獄だ。・・(羊博士)

それは地獄だろうなぁ。とつくづく思う。私もそんなところにどっぷりつかるのはゴメンこうむりたい。かといって表現できることがすべてとは到底思わない。修行あるのみだ。でも、いくら修行を重ねても、誰もが地獄を抱えていることは確かだと思う。(Shio)

私は羊が体内に入ってからずっとそういった羊に関する民俗学や伝承を研究し始めた。現地の人の話を聞いたり、古い書物を調べてみた。・・(羊博士)

羊博士にも、伝承ハーブ研究会に入ってもらいたい。(Shio)

日本の近代の本質をなす愚劣さは、我々がアジア他民族との交流から何一つ学ばなかったことだ。羊のこともまた然り。日本における綿羊飼育の失敗はそれが単に羊毛・食肉の自足という観点からしか捉えられなかったところにある。生活レベルでの思想というものが欠如しておるんだ。時間を切り離した結論だけを効率よく盗みとろうとする。つまり地面に足がついていないんだ。・・(羊博士)

ちょっと過激だけれど、こういった本質を見失う危険性を私も感じることがある。でも人間には、0と1の間をじっくりと辿って堪能する力が元来あると思う。(Shio)

羊博士にとっての羊とはなんだろうか。それは、元シャーマンのアマリンゴさんにとってのアヤワスカが連れてくる精霊と同じだろう。風の歌を聴くための羊は、自分でみつけてじっくりつきあいたいものだ。
12/10/1999
by linsshio | 2004-11-28 19:24 | 読んだ | Trackback | Comments(0)

ひさびさに風の歌を聴け

先日、仕事の帰りに近所の住吉書房に寄った。シンポジウムで、風をひらくということを考えたからか「風」という文字に目がいく。風・風・風・・風のつくタイトルの本が結構あることに気づいた。五木寛之のエッセイ集だったか「風の記憶」というのがあり、なかなかいいタイトルだな~と思った。中身は知らないが、なんとなく浮かんだ風景は、セーヌ河のほとりで(行ったことはないけれど)、またねと前夫と別れる岸恵子の姿だった。所詮、風の記憶、されど風の記憶なのだと、さらっと思い、じんわり歳を重ねるのはなんだかとてもおしゃれな気がする。彼女の抑制の効いた雰囲気が私はとても好きだ。風、風とうろうろしているうちに村上春樹の「風の歌を聴け」をひさびさに読みたくなった。・・・で、10何年かぶりに読んだ。

大学時代の私が、この小説から感じ得たものは、なんだっただろうか。ひとつは、どうしようもなくやるせない気分のときには、むっくり起き上がり、おもむろに部屋の掃除をはじめるか、電気釜をひたすら磨けということだった。それも出来ないほど、憔悴しているときには、布団に包まって、青虫のふりをしてどうにかやり過ごせということだった。実際このおかげで、私は何回かの危機をどうにか過ごせたような気がしているし、今でも、心の奥底でしっかりと言いきかせている。ひたすらビールを飲みつくすこととピーナッツの殻でJ's barの床を埋める事に彼らがひと夏を費やす姿にそれを重ねた。といっしょに、何かのふりをすることはとても強力で、ぜんぜん違う自分を演じることもできるけど、それに慣れていくと、そのままになってしまう危険もあるから気をつけろということも実感していった。

もうひとつは、書くことの意味。村上春樹はこの小説の中で自分にとってのその意味を問い答えていっている(と思う)。存在理由という言葉を、自殺した彼女に使わせているけれど、わたしもそんなことを考えていた時期があったような気がする。でも、そんな気持ちはきれいに消えうせた。

・・・で、今回は鼠の語った次のフレーズが一番のこった。
「文章を書くたびにね、俺はその夏の午後と木の生い繁った古墳を思い出すんだ。そしてこう思う。蝉や蛙や蜘蛛や、そして夏草や風のために何かがかけたらどんなに素敵だろうってね。」(村上春樹「風の歌を聴け」より)
11/15/1999
by linsshio | 2004-11-28 19:22 | 読んだ | Trackback | Comments(0)

旅の風景

これまでの旅の風景です。
by linsshio | 2004-11-24 00:00 | 旅した | Trackback | Comments(0)