Shio's 感じたことやら考えたことやら。。


by linsshio

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GWに入って昨日の夜あたりからそんなに電車も混んでいないな~と思うようになった。
今日は私もお休みで、このカリフォルニアのようないい天気の中、渋谷に(渋谷には映画とタワーレコードのためにしかほぼいかなくなりました)映画を見に行きました。

コーヒー&シガレッツ。。Coffee & Cigareattes..久々のジムジャームッシュな空気を堪能しましたです。
あのみるからにひどく薄くてまずそうな、アメリカの街中カフェ(スタバとかロースティングカンパニーとかそういうんでない)のコーヒーをすすらせて、それでもって想像するに口の中が輪をかけてにがにがになりそうなタバッコを吸わせて、で、私をいい気分にさせてくれるから、やっぱりジムってすばらしい。
そんな味やら匂い、音楽やら、いろんなものがあいまって出来上がってる生活の空気がこれまたかわいくって、テーブルの下のセメントの床はしみだらけで、とてもじゃないけどバッグをそのまま置くなんて気にはならない、、でもそのしみが味わい深くてかっこよいのさ。
by linsshio | 2005-04-29 19:39 | 観た・聴いた | Trackback | Comments(0)

モンゴルの草原

先日大学で、モンゴルの草原に生えている植物について調べているという先生とお話した。Artemisia(ヨモギのなかま)の成分を調べていたのだが、JAICAの関係でモンゴルの大学にしばらくいっていて、植物を材料になにかモンゴルに産業を作れないかと考えているのだそうだ。
モンゴルには遊牧された牛やら馬やらがたくさんいるんだそうだ。(それはなんとなくしっている)
そして、その牛や馬たちは、体の調子のよしあしで、食べる草が違うんだそうだ。(へぇ~)
遊牧民であるモンゴルの人たちは、食べている草をみて、「あ~こいつはこんな調子か~」と、自分の牛や馬の調子がわかるんだって。(ひょ~すてきだ~)
それで、その先生は、通訳さんを連れて、遊牧民さん聞き取り調査なんかもやっているんだって。

Artemisiaってあっちこっちにあっておもしろいですよね。ネイティブアメリカンはArtemisia tridentataを Sagebrushって呼んでいて、お清めとかに使うみたいですよ。アメリカで摘んでチンキ剤を仕込んだんですけど摘んできて洗うだけで成分がじゃかじゃか出てしまいました。

みたいな話を私がしたら、モンゴルにもトーテムポールがあって、遊牧民が眠るテントはまるでティーピィーそのもののような形をしてるんだそうだ。

なんだかおもしろいよね~。やめられませんな~。モンゴルの人たちにあやとりでブリッジ作ったら同じように取ってくれるのかな~。環太平洋モンゴロイド文化。

さて今日もホットヨガいってきました。今日は汗がいつにも増して吹き出て、お水1リットル飲みました。
by linsshio | 2005-04-21 00:41 | 日々のこと | Trackback | Comments(7)

ぴかぴかの一年生気分

先週、今年度初めて東邦大学へいった。そしたら研究生用の学生証を発行してくれて、なんだかぴかぴかの一年生気分で、からっとリフレッシュした。そんな先週は温かい春の日が続いて鷺沼の桜も見事だったのに、ん~、今日は冷えたね~。。

先週、東邦でやっていくことを整理していたら、ハーブのこんなこと研究しようと思っていた気持ちがふつふつと甦り(?)どうなるかみてみたい気持ちの純粋さって大事だなと思った。

またゲーテの話なんだけど、彼の『自然と象徴』を読んでいると、これってある意味、私のちょっとしたバイブルみたいなものかもって思ったりする。

生き生きとした観察を心がける人が自然と人間との相互作用を確信すると、すぐにも彼は、無限に広がる2つのものを認めるであろう。つまり一つは「対象の側における存在と生成の多様性、あるいはまた存在と生成が生き生きと織り成す関係の多様性」であり、他の一つは「観察するその人自身の側において自分の感受性と判断力に新しい受けとめ方や新しい反応の仕方を絶えず習得させつつ、自分自身を無限に完成していく可能性」である。(ゲーテ)

彼は形態学の論考を進めるにあたり、こういっている。

熟視は観察へ、観察は思考へ、思考は統合へと必ずや移行するものであって、だから世界を注意深く眺めているだけで我々は既に理論化を行っているといえる。(ゲーテ)

彼は観察を重視した。いかに見るか、いかに感じるか、それはとても重要だ。そしてそれを理論化したとき人は大きな幸福感を得るのだろう。ゲーテは人間の習性を書いたのか、それともゲーテ自身のことを書いたのか、いずれにせよそれは私にも比較的しっくりぴったり当てはまる。そして数学では数列が一番好きなことを思い出した。私は律を見つけるのが好きなのだ。

あるものの本質を表現しようとしても、およそ実を結んだためしがない。だが作用を捕らえることはできるし、この作用をもれなく表現すれば、そのものの本質をも包括したことになるかもしれない。(ゲーテ)

私もそう思う。その事実を重ねていくことが、それを正しく記録することが大切で、そしたらいつかとてもシンプルな真理が現れてくる気がする。しっかし、人間てずっと同じこと考えているんだね。

先週は東邦大学のハーブガーデンをじっくりみた。匂いをかいで、さわり、あるものは味をみた。こういうことから、離れては絶対にいけない。

花冷えの今日は、S女子大の2年生にアロマテラピーの話をした。20歳くらいの女の子達が、ふむふむと勉強している姿をみると、なんだかかわいい。スクールバスに乗ったら、後ろの座席から「一年付き合った彼とはなかなか別れられない」っていう話が聞こえてきて、私のあの頃のいろんな風景を思い出したりした。
もしかして私も学割で映画見れたりするのだろーか。いつまで学生やっとんじゃ。
by linsshio | 2005-04-13 01:54 | 日々のこと | Trackback | Comments(2)

綿から根

c0002089_0391127.jpgずっと前に花屋さんで買ったドライの綿の枝。パフパフした綿を付けてしばらく家で活躍していたが、ちょっと綿を摘んでみた。それを水を張ったココットに入れること、ん〜1週間くらいかな。
今日みたら、ちょろっと根が見えたのです。お〜すごいすごい。と思って裏返したら、うわ〜〜、根がいっぱい。綿の生命力がこわくなった・・。

さて今日はフジテレビで「やっぱり猫が好き」をするらしい。みなくっちゃ。
by linsshio | 2005-04-04 19:58 | 日々のこと | Trackback | Comments(2)
だが無に帰するものなどありえない
永遠なるものが万物を生動させてくれている
さあ 存在に身をゆだね 生きる幸を知りたまえ
存在こそは永遠だ 生きものが 法則に守られている限り
この万有はあくまでも美しい

真実ははるか昔に見出され
高寓な精神のかずかずを結び合わせてくれていた
地に生まれし子 いにしえの真実をつかまえたまえ
賢人たちに謝したまえ
太陽をめぐる地球や惑星の円い軌道を教えてくれたその人に

そしていま すぐに内へと向かいゆけ
内にこそきみの中心があるだろう
気高い人の知っている中心が
というのも我が身を律する良心こそ
日々の道徳の紛うかたなき太陽なのだ

さらにまた感覚をこそ信頼したまえ
きみの悟性がどんなときでも目覚めていれば
感覚はきみを欺くことがない
さあ 溌剌としたまなざしでこの世を享受し
恵みゆたかな世界の野辺を かろやかに 胸をはって歩みゆけ

このことをついに体得し
実りをもたらすものだけが真実なのだと
しみじみと 心に深くかみしめたなら
世間一般のならわしに
世間が好むやり方に目を注げ
少数の人々こそはきみの友と知るだろう

哲人も詩人も 昔から
人にも知られず 思いのままに
書いてきた 心をこめた作品を
そのようにきみも至高の恵みを克ち取ろう
気高い人々の先達となることが
すべてに勝るきみの務めなのだから。
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なんだか写経した気分・・
by linsshio | 2005-04-01 19:02 | 読んだ | Trackback | Comments(2)