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by linsshio

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一泊の宿

椰子葉ジャーナルを読み、グリーンフラスコとお付き合いのある難民支援協会のサイトに行き、難民スペシャルサポーターになった。協会のサイトにある「難民スペシャルサポーター」とあるアイコンをクリックしてみると「1500円でその日泊まるところのない難民に一泊の宿を手配できます。」と記されていた。ひと月に1500円の支援は私にもできる。私が無駄使いで使ってしまいそうな1500円で、一晩の宿が難民の方に提供できるんだ。愛する祖国を逃げるように離れるときの切なさや緊張感は想像さえできない。でも、やっと日本に辿り着き、疲れてへとへとなとき、危険を感ずることなく布団に入れたら、ひとときではあるかもしれないが深い安堵感を感じてもらえるのではないだろうか。時間をかけた手厚い支援は今の私にはできないけれど、私にもできることがあると思って嬉しかった。そして1500円でできることの価値を知ることは、自分にとっても正しいお金の大切さを再認識させてくれる。

数年前まで、私の生活の中には「難民支援」という言葉はなかった。グリーンフラスコ自由が丘店の店長だった八林や難民支援協会さんのおかげで、難民についての事実をいろいろ教えて頂いた。いつになっても争いの絶えないこの世の中は、多くの難民を生んでしまう。自由が丘店でのワークショップでも、ミャンマーやソマリアからの難民の方のお話を聴いた。米国にいる友人一家も、15年ほど前(?)にチェコからトランク2つ持って家族3人で逃げるように渡米してきたといっていた。サッカーのオシムやストイコビッチは内戦が絶えなかった旧ユーゴスラビアの出身だ。自分の親にしたって、横浜大空襲のときに横浜にいた。八林はあるとき「これからは温暖化による難民が増えますよね。」と言っていた。水が溢れて住めない場所は現にもう出て来ている。北極のシロクマだって、日本の山に広葉樹が少なくなって里に降りてきてしまうツキノワグマだって、難民(?)に近い。自分だっていつ難民になるかわからない。そして、好んで難民になる人たちなどいない。

数日前の朝日新聞に、アグネス・チャンのインタビューが載っていた。彼女が「私の生活の柱は、仕事、家族、社会貢献です。」と言っていたのが心に残った。思えば親にも「人の役に立ちなさい。」とよく言われた。私に一番足りないところだからだ。昔遊びに行ったお友達の家のおもちゃ箱をきれいにしたように、何かやりたいと思った。

サポーターになったら、協会の方が、難民についてのいくつかの資料を送ってくださった。難民について知るべきことがしっかり記されている。「私は、勉強会やイベントにはなかなか行けないのですが、まずHPや送って頂く資料を読ませて頂きます。」とメールしてみたら、丁寧なメールを頂いた。自分にできる方法できちんと世の中を知って動きたいと思う。
by linsshio | 2008-04-28 00:52 | 日々のこと

チベットのこと

何年か前に有志一同で、伝承ハーブ研究会というものをやっていた。世界各地でのハーブの活用に興味を持った人たちが、私はこの地域を担当しますっ!と手を挙げて集まったのだ。それぞれ自分の担当地域について調べてゼミ形式で発表する勉強会を行ったり、私たちと同じ国で生きている日本のハーブについてもっと知ろうとフィールドに出たり、ウコンやらヨモギやらモロコシソウやら、精油の蒸留実験をしたりと、とても楽しかった。私たちは、世界のどの地域でも、ハーブを使う文化の根底には、自然の中に神や精霊をみる、自然に畏敬の念を持つといった共通の哲学があることを学び、どの文化にも非常に親近感を覚えた。

そのときの仲間から一通のメールが届いた。彼女は、夫君がチベット仏教の研究をされていて、自称ダライ・ラマの追っかけ、チベットの若い僧の方々が日本でお話するのを支援してご自宅に泊めたり、一緒に全国を回られたりしていた。彼女の担当はもちろんチベットハーブ。彼女からは、チベットではウコンがとても神聖な浄めの植物であって、僧の方々が纏っている布はウコン染め、お浄めのためのウコン水を撒いたり、教典や捧げものはウコンの布で包むのだということを教えてもらった。

彼女から届いたメールには、「チベット危機に関する平和的全面解決を求める日本政府に対する公開書簡」への署名のお願いだった。中国政府がチベットと平和に話し合うことを進めるための動きである。そのメールを読みながら、すばらしい独自の文化を持つ国が、基本的な国権を持てずにいることの哀しさを思い、憤りを覚えた。人権にしても、国権にしても、尊われずにないがしろにされることは、このうえない孤独を人の心に刻むと思う。
そして、ほとんど隣の国なのに、日本に流れているチベットに関する報道があまりにも少ないことを不思議に思うとともに無責任さを感じ、この問題について日本の中の意見や動きがどうであるのか積極的に知ろうとしていなかった自分を反省した。知らないことは罪だし、知っているのに黙っていることも大きな罪だ。チベットで何が起こっているのか、しっかりと知る努力をしたいと思う。

公開書簡の内容は以下のサイトにあります。よかったら、アクセスしてください。
チベットの危機に関する平和的全面解決を求める公開書状
by linsshio | 2008-04-06 18:16 | 日々のこと

田中さんのお話

日本薬学会年会が横浜のみなとみらいで行われて、ノーベル賞受賞者の田中耕一氏の招待講演を聴くことができたので、そのことを書いてみる。

「質量分析は薬学を含めた異分野を融合する要である」・・といったタイトルで島津製作所の田中さんはお話をしてくださった。ノーベル賞を受賞した方で、もちろん田中先生とお呼びするところなのだろうが、とても謙虚な方で、「私はDr.田中ではなく、Mr.田中です。」と話され、田中さんとして仕事をしていらっしゃることを誇りに思っていると感じられたので、田中さんと記させていただく。

田中さんは、受賞対象のご自分の研究として、タンパク質をイオン化する「ソフトレーザー脱理法」について説明をした。それまでは、分子量が一万を超えるタンパク質のようなものはイオン化は不可能とされていたのだが、グリセリンに金属超微粉末を混ぜることにより可能になった。これによって、イオン化して、分離して、検出して、測定して、データを解析する・・といった質量分析法がタンパク質を対象にも行えるようになったのだ。しかし、開発当時、島津製作所ではこの技術を製品化にはつなげたものの、売れたのはたった一台だったのだそうだ。開発した自分達は、やったやったと喜びながらも、その研究の重要さをあまり感じていず、その研究をしっかりと英語の論文にしておけとアドバイスして下さる方が社外にいたので、ちょっと面倒だなと思いながらもしぶしぶ論文にしたのだそうだ。

そういったことを、田中さんはとても丁寧に話されていたのだが、話を聴いていると、一般の人に科学を伝える術を、今、一生懸命に模索している様子が伺えた。そして、彼自身がノーベル賞の受賞を一番びっくりしていて、企業の中で役に立たなかった研究に日の目を見せてくれるきっかけを作ってくれた人たちに感謝をしながらも、研究の重要性を身にしみて認識していず、企業人でありながら、企業的な価値を見いだせず、伝えられずに時を過ごしてしまった自分を後悔している様子が伺えた。こんな話を聴きながら、メーカーに元いた私は、一メーカーの研究所での彼の仕事ぶりが、かつての同僚たちの姿とだぶり、なんとなく想像できて、感じるところがあった。もちろん田中さんはノーベル賞を受賞するような素晴らしい仕事をされた方だが、日本のメーカーには、かなりオタクな優れた研究者や技術者が多くいる。彼らが、純粋に研究開発のみに携われることはなかなか難しいのだが、彼等の能力を無駄にすることがなく日の当たるところへ持って行きたいものだと思ったりした。そして、田中さんの謙虚さは、あたかもノーベル賞が近いもののような気を世間の人々に抱かせてしまいがちだが、彼の仕事は相当な努力と集中力の上に成し得た崇めるべきものであるということをしっかりと認識しなくてはいけないと思った。

中学生の田中さんが、小松左京のSFを読んで書いた感想文の一節を教えて下さった。その小説は簡単にいうと科学が進んだとされる未来社会だが、実はぼろぼろで、歯車が狂って誤動作して滅びるといった内容だったらしい。

〜自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の手でものを作る〜

どんなに科学が進んだ時代でも、人間そうでなくてはいけない、僕はそうありたい・・といったような文だった。

大賛成。そう、確かなのは自分の思考や感覚だ。
by linsshio | 2008-04-06 18:15 | 日々のこと